例えば、もやもやと思い悩むコトがあったとして。
1人で考えても堂々巡りで結局、諦める言い訳探しに変わってたりするんだけど。
例えば友達が私に、そんな話をとつとつと話してくれたとしたら、私は何て返すだろう、とぼんやり考えてみて。
そしたら確実に、けらっと笑って前向きな考えを披露して、ぺしっと肩を叩くくらいの軽さを気取るんだろうなぁ、と容易に想像できてしまった。
いくら他人がプラスな見方をしてくれたって「そうだよねー」と言うのは簡単だけど、それで実際に動けるかどうかってーのは全くの別問題で、多分私は動けずに終わってしまうんだけど。
それでもたまに、何の根拠もないよーな妙な自信をもって、背中を蹴っ飛ばすくらいのことを誰かにして貰いたいときがあるわけです。
応援してくれる子はいるんだけど、そうじゃなくて、拍手や声援じゃなくて、後ろから追い立てるくらいの迫力というか・・・ライバル?はいらないけど、それに近いような。
観客席からの声が欲しいんじゃなくて、同じ高さに立つ応援団の方が直に届くというのか、むしろ同じ道路を一緒に走りながらべしべしやるくらいの近さが欲しい、みたいな。
1人でもぞもぞと考えたり調べたりして、うごうごすれば何とか解決するものなら簡単なんだけど、そこに生きている人間が1人でも関わってくると、人間ってのは呆れるくらい移ろうものだからどうにもならないんだよなぁ。不変なものなら楽なんだけど。
でも不変なものはつまらないってのも本当だと思うし、変わるからこそ救われることも圧倒的に多いよね。時間が解決するってーのはつまり、忘却を待つってことで、現実が思い出という名の物語に変わるのを待つってことだと思うのです。
『現実』とか『過去』『現在』という言葉は【リアル】だけど、『思い出』や『物語』って名前のものは【ファンタジー】に近い気がする。イメージが育てたものだから、総じて少し優しい。
それこそ、何となく遠く霞んで、綺麗なもののように感じるから、痛くない。・・・いや、痛かったんだけど、今はもう大丈夫って言ってる気がします。
ところで『希望』ってのは稀な望みって書くから、あんまり実現しそうにない願いのことなんだって話を高校の時に聞いたことが、未だに頭に残ってます。
確かに、希望って何となく、手を伸ばして伸ばして、何度も空をかいて、それでも手を伸ばすものってイメージがある。あくまでイメージだけど。
まぁつまりどういうことかとゆーと、タイトルに【激励希望】って書いたけど、実はそんなに欲してないんじゃないか、という自分への問い掛け。
私は単純なので、頑張れって言われれば嬉しいし、頑張ろうって思うけど、思うだけで実際に頑張るかどうかは別問題だよなぁ、とか身勝手なことも思うのです。
結局、自分以外の行動や言葉を予測する事は出来ても、その通りに事が運ぶコトなんて滅多にないわけで。こうして欲しい、こう言って欲しい、と思ってこっちが働きかけてもその通りになんて返ってくるわけがなくて。
そんなことは分かっているけど、求めないことは最大の自衛手段だけれど。
あぁ、つまりどういうことかはよく分からないんだけど・・・とりあえず、書いたらちょっとだけ、すっきりしました。
少しの間、忘れておこうっと。
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