「また」と「今度」とか
「飲みましょう」と「食事でも」とか
「みんなで」と「一緒に」とか
各々単体で使われると、どれも嬉しい言葉だけど、こうして並べてみるとその差が歴然としていて、思わず笑ってしまいました。
こんなにも明確に言葉は想いを乗せているのに、それがなかなか伝わらないのはきっと、こんな風に比較する対象がないから、でしょうか。
例えば1対1の場合、特に電話やメールでは、その言葉が皆に使われる社交辞令なのか、自分だけに使われている特別な台詞なのかは、言われている本人には分からないわけで。
そこいくと、学校とかってのはそういう比較対象がいっぱい転がっていて、良い場所だったなぁ、なんて思ってみたりもします。
それにしても女の子とゆー生き物は、あっさりと情報を提供しあうものなのだとしみじみ。
アンダーな情報、という言葉から私は、机の下でこっそり回す手紙を想像してしまうのですが(実際は割と堂々と回ってたけど/爆)例えば携帯メールも、あの延長かもなぁ、とかぼんやり思うのです。
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