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2025/04/21(Mon) 05:23:35
今回は高2の終わり、予餞会前後の話。
まり子さんの過去と、可愛い師匠と、千晶ちゃんステージ!
予餞会の様子を読んでたら、自分が高校のときの文化祭の後夜祭やら、先生方が学年集会かなんかでプチ予餞会みたいなのやってくれたことやらを思い出しました。
あんな大掛かりなものには縁がなかったけど、あのとき体育館で感じた空気や、そのときの気持ちだけは、未だに覚えているんです。
クリも随分、成長してますね。
自分より小さいものに興味を持つなんて、素晴らしいじゃないか!
そして最後に夕士が長谷に言ったことは、何となく予感があったことでした。
平均がイコール幸せとはもちろん限りませんが、年齢相応の幸せというのは確かにあって、それはやっぱりその年齢のときにしか手に入らないものだと思うのです。

今回の核のひとつだった、妄想と現実の境界が曖昧になると危ない、というのはココずっと言われていることです。
少年犯罪が起こって、その子がゲーマーだったり、ミステリやホラー色の強いマンガ好きだったりすると、すぐそれら作品のせいにするような報道が起こります。アレやアレが、アニメ化流れたりもしました。
そんな訳ないじゃん、と思うのは多分、私が未だ健全だからということになっていますが、本当のところは、本人にしか分からないんですよね。
発達の関係で、3歳までは嘘と現実の境界がないと習いましたが、そういう事なんでしょうか。
冗談、という観念がない。
これはお話の世界、という線が引けないってこと?
それは物凄く悲しいことですが(だってそれはつまり、お話を楽しむ力を持っていない、ということ)そうなってしまった原因って何なんでしょう。
小さいとき、お話に触れる機会が少なかった?
嘘をついて笑い合う経験をしてこなかった?
ごっこ遊びをあまりしなかった?
他人と関わることを避けすぎた?
逆に1人遊びの経験が足りなすぎた??
それとも、足りなかったんじゃなくて、何か余計だったんでしょうか。
報道の力、というのは偉大で、不特定多数に対してもっともらしく語られる言葉は、それだけで正しいような気がしてしまいます。
先生が生徒に語る言葉に似ているのかもしれません。
ある種、絶対的だと無意識に信じてしまうもの。
こんなことを書いている私も充分、情報に踊らされているのですが。
大体こんなところでつらつらと考えたって、真実が分かるはずもないのですが、それでも考えてしまうのは、やはりどこか近しいものを感じているからでしょうか。

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2008/02/17(Sun) 23:00:15
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